君が手にふるる水は過ぎし水の最後のものにして、来るべき水の最初のものである。現在という時もまたかくのごとし
ダヴィンチのトリヴルツィオ手稿といわれてるものに書き残された言葉
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し
鴨長明の方丈記
時代や場所は関係なく 水という根源から同じことを感じとった言葉
体の中の水である血液が一日に何百リットルも体の中を循環しているといわれてます
それが外見を保っている 循環が衰えると外見が老いてくる
循環なくして人はいい状態を保てない
動いているということが安定を保っている
秒速何百キロとかで地球は自転しているといわれています
その回転が安定を保っている
野口整体で人を見る時 なによりその人の勢いを見ることの大切さをといている
勢いとは生命の循環力だと思います
やはり人は生きている 普段 意識しなくとも血もリンパも骨も皮膚も循環してあた
らしく生まれ変わっている
内蔵の不調からくる病気 慢性病、などといわれるものの経過をみていると強く実感します
勢いの元となる原動力の『何か』にアプローチにする
そこが野口整体というものが根源的にみえ魅力を感じるところだったりします
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